2015年6月10日水曜日

デジタルカメラ生誕20周年記念イベント @スタジオエビス

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6月6日(土)にデジタルカメラ出現当時から積極的にかかわってきて、初期のPC Watch、そこから独立する形で出来たデジカメWatchでレビューを書いてきた山田久美夫先生が主催した「デジタルカメラ生誕20周年記念イベント」(Internet Archive)に参加しました。場所はスタジオエビス

今のデジタルカメラの元祖はカシオのQV-10と考えられています。今年はQV-10発売から20年で「デジタルカメラ成人式」と考え、日本の各カメラメーカーのデジタルカメラの最初期から現在までに関わっている人から各社のデジタルカメラの歴史を振り返ってもらうと言う企画でした。

世界を見ると、デジタルカメラメーカーは事実上日本に限られています。そこの関係者から「日本語で直接」話を聴けると言うのが貴重な点と山田先生は強調されていました。

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内容と資料について、オフレコかオフレコではないか微妙なところということだったので、写真は会社タイトルと、最初の一枚くらいにしてあります。

初期のデジタルカメラに関わっていた人の一部は他社へ移っていて、発言出来ないということで、他の人を探すのに手間取ったケースもあったそうです。

登壇順に記していきます。

富士フイルム

デジタルで撮影し、メモリーカードに記録するカメラ=デジタルカメラとして世界最初の試作機DS-1Pを作っていました。

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これは当時私がFinePix700で撮ったJPEG。今回、ホワイトバランスだけ調整しました。

オリンパス

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レンズ固定式のCAMEDIAを経て、(当時)プロでも使えるレンズ固定式一眼レフとしてE-10を開発。

当時、デジタル一眼レフカメラはセンサーにゴミが乗ることが悩みの種だったため、この問題の解決が出来るまでデジタル一眼レフカメラを発売しないと覚悟し、超音波式ダストリダクションシステムを開発。

E-10とほぼ同時にフォーサーズ規格の策定開始。センサーの進化速度がフィルムより遥かに速かったので、デジタル対応にレンズも一新し(ZUIKO DIGITALレンズ)、将来的な余裕をみて設計。進化に対応するために、レンズとボディーのファームウェアをあとからアップデート出来るようにしたのはオリンパスが最初ではないか。

ソニー

ソニーは、初期のCyberShotの開発者や、ミノルタからの設計者などが全く残っていないので、CyberShotの設計者が出席。

ソニーは、デジタルカメラ以前にMAVICA(マビカ)というアナログ記録方式の電子スチルカメラを開発していて、これがカメラ各社に少なからず影響を与えているのですが(今回のプレゼンでも数社、マビカに言及)その話は当然出てこず。

同様に、CyberShotはコンデジの系譜であり、別途レンズ固定式のネオ一眼系の全く売れないカメラがあった。そこからコニカミノルタとの提携でαマウント互換のデジタル一眼レフを発売するがこれも全く売れず。また当時は「一眼レフメーカーだからコンデジも一流」というブランド志向がユーザーにあったのでCyberShotもあまり売れず。 これが「ソニーブランドではカメラは売れない」とαを買う動機になっていたはずなので、この「ネオ一眼→α互換一眼レフ、そしてα」という流れも全く言及されなかったのは惜しい。


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カシオ計算機

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QV-10は当初PCに吸い上げることは眼中になかった。背面液晶かテレビにつなぎ「さっとみられる」ことを狙いにしていた。今でもカシオはオーソドックスなカメラを作っているつもりはなく、写真を撮って、どう遊べるかという可能性と提案を考え続けている。

QV-10の企画の途中で急遽PCに吸い上げる話になり、調整用に存在していたRS-232Cを外にひっぱりだした。発売した年は偶然Windows95の発売年だった。

QV-10の「QV」は適当に決めた。カシオは「V」が付くカテゴリーが多い。そこで自然と「何とかV」となったが、既に色々型番が使われていたので空いていたのが「Q」だった。しかし、いつの間にかデジカメの代名詞になってしまい、EXILIMになった今でも事業部の名称はQV事業部。

キヤノン

しゃべった前野さんは、キヤノンがFDマウントからEOSマウントに切り替えるときのEOS-1から関わっていて、さらにPowerShotやIXYも関わっている人。

リコー

ここでは「本家」リコーのデジカメのお話のみ。後述のようにリコーは別途ペンタックス系の人がペンタックスの話をしてくれました。


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リコーイメージング(ペンタックス)

リコーは、別途、旭光学時代からのペンタックスの人も出してくれた。

パナソニック

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Mr. LUMIXともいえる、房さん。LUMIXのUIがよく出来ていて、歴代の機種を通して一貫しているのも房さんのマネージメントが大きいのではないかと思うプレゼンでした。

他社へのOEMではそれなりに売れていた、隠れ大デジカメメーカーだったパナソニックが、自社ブランドとしては後発カメラメーカーとして如何に苦労してきたかのお話。これを数々の「業界初/世界初」を通して振り返る。

最後に、2020年東京オリンピックで8K動画と8Kフォト(あるいは6Kフォト)を目指す、と。

LUMIXというブランド名は、考えることもさることながら、各国の商標登録にぶつからないものを見つけるのに苦労した。

プレゼンに書かれた「参入における成功条件」中「知らないことは、素直に『達人』に聞く」の「達人」とは山田先生のような人のこと。

実は、全プレゼンの中でもっともスライドの写真を撮る人が多かったのがこのパナソニックのプレゼンでした。

シグマ

しゃべったのは、シグマ創業者の息子、二代目社長の山木社長。

文系の山木社長、入社時はお父さんの方針で、設計も経験しろということでレンズ設計のメカを担当。50mm F1.4などの設計にかかわったそうです。

そこに、工場拡張の負債に円高が重なり倒産寸前となり、銀行から「息子に経営企画室を作らせて、財務管理して経営再建しろ」と言われて、経営企画室長となり管理屋さんへ転身。

Foveonセンサーを採用する時の経緯(内輪話)を披露。大企業ではちょっとやれないような、まさに創業者社長と親族経営じゃないと出来ない決断の話でした。

もともとFoveonics社という社名で、三板式のカメラを作ってカメラメーカーになろうとしていたが3つのセンサーのアライメントが調整できず頓挫。そこにたまたま社員(といってもハッカー)が個人的にだしていた三層センサーの特許をみた同僚(今はGoogle、ハッカー)が「これ実用化出来ると思うよ」ということでセンサー開発をはじめた。カメラメーカーは、CANON、NIKONなど-ONで終わっているメーカーが多いからFoveonicsの-icsを取ってFoveonに社名変更した。

ニコン

最後はMr. Nikonの後藤さん。

他社のエポックメイキングな製品を絡めた時系列、ライバル機を評価する横綱相撲、俯瞰的視点での語り口など、みごと。あまりのしゃべりのみごとさに、プレゼン資料に見入ってしまってしゃべっているところの写真を撮り忘れました。

パナソニックに続いて、二番目に写真を撮る人が多かったのが、このニコンのプレゼンテーションでした。


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LUMIX実機

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LUMIX 初代 DMC-LC5
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LUMIX 二代目 DMC-LC1
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フォーサーズ1号機 DMC-L1、マイクロフォーサーズ1号機 DMC-G1

会場後ろに、カシオとシグマ、ソニーがテーブルを出していて、歴史的モデルを展示していました。

パナソニックがシグマのテーブルにこれら三機種を展示していました。

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